兵どもが夢の跡

12/22、12/23と地元青森の友人二人が5号機お別れのために神奈川まで遊びに来て、今日帰っていった。

俺にはまだ28~31まで4日間の猶予が残されているが、逆に考えればあと4日で終わってしまう、こんな悲しい事があるのだろうか。

彼等がどんな気持ちで打ち倒し、どんな気持ちで帰ったかはよく分からない。
なんなら彼等は4号機と5号機が入り乱れる時代も生きてきたから経験あり、といったところなのだろうか。

俺は今、割と…というかかなり苦しい、特に夜一人になるとツラすぎて頭がくらくらしてしまう。そんくらいしんどい。



俺は、俺が思っている以上に5号機のスロットが好きなんだ、と言うことを嫌でも実感してしまう。




事実、俺が青春の多くの時間を費やした三大趣味の一つなのだ。

スロットは俺に色んな初めてを見せてくれた、代わりにあり得んくらい金毟られたのだが。

初めてスロット打ったのが初代神たまの5スロ。
狙ったところを押すのが本当に難しくてそれだけで楽しくて仕方がなかったし、揃えれないのが恥ずかしくてたまらんかった。
次に手を出したのが悪魔城やゴエモンといったゲームを知っている台ばかりだったなぁ。あとは当然ツインやマジハロと言った萌え台


初めてフリーズと言う存在を引いたのは今でも覚えてる、流石の猿飛(笑)だ。
この台悲しい事に全く思い入れないけど俺の超大好きな「プリティ戦記」というGODでGOODでFUCKな台を県内唯一置いていた青森県弘前市にある丸大というホールに何故か置いていた。

気紛れで座ってなんか豚が出てきてキュインキュインなったら赤7揃ったなーと思って首傾げてた。あれがフリーズだと気付いたのは初代バジリスクでフリーズすると台(リール)が固まるのを知ってからだ。

初めてこぜ6に座ったのはなんと初代神たまだった、あれは本当に楽しかったし店の大当たり回数更新してたのちょっと嬉しかった。
残念ながら全然ビジ引けず、みこしチャンス(40枚前後のビジ)引きすぎという引き弱すぎて1,500枚で終わったのもいい思い出。



思えば当時から好きな台のために遠出をよくしていた気がする。

バジリスクのために30分車を走らせ。
ときメモのために1時間車を走らせ。
リビアンクイーンのために30分車を走らせ。
新お天気スタジオは2時間以上の遠出を何回もした。

そう考えると今も9年前もなんも変わっとらんなーと軽く苦笑してしまう。

でもそれも本当に終わりなんだ、本当に終わってしまう。

どんなもんにも終わりというものが来るのは分かる、当たり前の事だ。

でもそんな当たり前の事を32年間体験したことなかったから本当にツラいよ。

28日、悔いの残らないようにオオネを楽しんできたいと思う。


写真は友人の魂の台「DMC3」との記念撮影。
初手からトルネードぶちかまして気持ちいいけど下か~??みたいな相変わらずのスタートで楽しかったなぁ。

俺も31日はお願いして武龍と撮りたいと思う。

f:id:skm-ptnks:20191224230247j:plain